藤田謙は、明治から昭和にかけて活躍した染色家であり、衰退していた南部紫根染(なんぶしこんぞめ)を再興・伝承した人物です。紫根染専門の店「草紫堂」を創業し、伝統技術の継承と新たな絞り柄の開発に生涯を捧げました。

南部紫根染の復興を志す
明治23年(1890年)6月14日、盛岡市に藤田彬郎の三男として生まれました。江戸時代に盛岡藩の特産として保護されていた南部紫根染は、明治維新後に衰退の途をたどっていました。藤田は染色技術を習得するために京都へ遊学した後、帰郷して紫根染の復興に取り組みました。

南部紫根染研究所の主任に就任
大正7年(1918年)、盛岡の実業家中村治兵衛により南部紫根染研究所が開設されると、藤田は研究所主任として招かれました。技術の復興と開発に尽力した藤田は、従来の比較的大きめだった絞り柄を改良し、和服にも広く利用できる小柄の模様を新たに考案・導入しました。
・伝統的な染色技術の復興と新技術の開発
・和服に適した小柄な絞り柄の考案
・紫根染の新たな可能性と用途の開拓

「草紫堂」の創業と発展
昭和8年(1933年)1月に研究所を辞した藤田は、同年5月に盛岡市紺屋町にて紫根染専門の店「草紫堂」を開店させました。独立後も探求の手を緩めず、紫根染の研究を重ねて国内外で数々の賞を受賞するなど、高い評価を確立しました。

生涯を捧げた執念と遺作
昭和49年(1974年)、第25回全国植樹祭で来県される皇后陛下への献出品として「植樹文絵羽着尺」の制作を依頼されました。当時83歳だった藤田は病床にありながらも依頼を受け入れ、北上川や五葉の松を配した見事な着尺を完成させました。これが彼の遺作となり、昭和55年(1980年)に90歳で逝去しました。

もっと知りたい人のために
盛岡市 藤田謙